医療系の本を図書館で探しているときに目にした本。
この時思い返したのは、2つ。
1つ目は、大阪の家で地震を感じて部屋を出て母親に確認しつつ、テレビをつけたこと。
しばらくすると、現実とは思えないような津波の映像を見て、町が崩壊されていくのを初めて見た。映像だが、リアルタイムで見た。人、車が自然から逃げる上空からの撮影を。
2つ目は、社会人1年目の年末、長期休暇を利用して北海道から大阪へ車で帰ってみようと思いたち、どうしても一度は自分の目で見なければと東北地方を車で走行したこと。
当時からは8年弱が経っているにも関わらず、いまだに先を見通せる現場、立入禁止テープが道路沿いにいつまでも続いて入れない地域があったこと、比較的綺麗な道路が存在感を放って存在していたこと。
あの場所がどの辺りで、どこまでが津波の直接の被害を受けた場所かはわからなかったが、自分が大学に入学・卒業し、社会人になるまで目を背けていたものの、まだこの状態なのか、と強く動揺したのを覚えている。個人的な事故に対する認識は、この地域に知人は全くおらずあの時期になるとニュースとなるくらいの認識で、現地の復興に関する情報を全く持っていなかった。だからこそ、ある程度町が戻ってきただろう時期に、美味しいお店で少しでもお金を使って支えの一部になれたらいいな、くらいの甘い考えで立ち寄ってしまった。そのため、現実と想像のギャップに打ちのめされた。
おそらくいまだに、現場を一度も直接見たことのない人にとっては、ある程度は良くなっているのだろう、くらいに思っているのではないだろうか。もちろんニュースで、まだ復興していない地域と、戻りつつある地域を放送されるだろうが、その割合なんてものまでは見せてくれないからだ。
人は、自分が信じた方が楽なように勝手に考える生き物だ。良くなっていてくれたら、心配・不安を感じずに済むからだ。
ここまでのことは瞬間的に考えてないが、これら2つの自分にとっての思い出を振り返った時、共通していることとして、日本人としてこのことを知るべきだ、という思いであった。
この本には、この近隣地域の病院で働く一人の医師目線での当時の様子が刻々と記されている。
津波だけではない、原子力発電所の事故もそうである。
直後の現場の状況、人の様子、どうやって乗り切ったのか、どういう方針だったのか、この本を読むまでは知ることも考えることもなかったことがここには書いてありました。
当時、この地域の医療を支えた全ての人たちに敬意を表します。短期間だとしても、遠方から少しの支援だとしても、病院で働いた人、何かしら行動した一般人、自衛隊、公務員、企業、みんな日本を思う気持ちがあったのだ。
P.S.
こういった団結が、目には見えない日本の将来にも向けば、これからも日本は日本であり続けることができるのだろうなぁ
目に見えるように、示し、導いてくれるリーダーは必要だ。