日常

たそがれの日々 大事な自分時間

たそがれ…それは、人生にとって大切な時間だと思う

あの頃、どんなことを考えて、外の空気を感じて、部屋の温かさを感じて、物思いに耽っただろうか。

今となっては思い出せないような些細な時間…されどかけがえのない時間…ちょっと思い出せないかなぁ

 

幼稚園 水泳、スポーツクラブ

習い事させてもらって、お父さんに勝つことを目的にしていたな。好きな子もいたし、お母さんに大切に育てられてた。

一人っ子なのもあり、責任感は強い子だったと思う。

だいそれたことは考えられなかったけれど、当時の自分にとって大きな壁について考えていたように思う。

お父さんいない間は自分がお母さんを守らなきゃ、と思いつつも、お母さんに甘やかしてもらって可愛がってもらって幸せだったんだろうなぁ。

小学生 水泳、塾

勉強はできる方で、スイミングに通って体力もある方だった。そうこうして塾に通い始めもした。

スイミングの帰りに友達と話したり語り合ったりするのも面白かったし、学校のこと話すのも面白かった。

自分たちは何にでもなれるんじゃないか、みたいな気持ちや、大きくなったら何するんやろ、みたいな漠然とした思いがあったなぁ。

いろんな経験をして、自分に自信も持つし、自信も失う時だったか。

中高生 進学校、バスケットボール

自分の好きなことが見つからず、やりたいと情熱を持ってやれることもなく、ただ恵まれた環境にいた自分が嬉しかっただけで、同じような境遇の中にいると、自分らしさがわからなくなっていたように思う。

そんな中でも進学校に通う自負や誇りを一丁前に持ちつつも、周りと同じように大学受験していわゆる良い企業に入るもんだと思っていた。

自分ならできるはず、という自分を認めることができていた一方で、何のために勉強している、ひいては生きているのかと考えることもあったように思う。

エネルギーはあるのでやはり何か熱中するものが欲しかったが固定観念に縛られ、自由を感じられていなかったと思う。

大学生 化学、自動車

一人暮らしを始めたり、大きなストレスを抱えるような出来事がたくさんあった。ただ、熱中しようと決めたことに自分なりにきちんと努力できたことは自分の自信につながった。一人でいる時間がどうしても多かったが、良くもあり悪くもあったなと感じる。そんな時に、自分は将来何がしたいのだろう、大学に通っている意味ってあるのだろうか、自分の好きなことって何だろうか、と変わらず悩んでいたように思う。

人と話す、グループでいる、相談相手がいる、ことの大切さは学んだ。いろんなタイプの人と出会って、合う人合わない人を知った。どう責任感を持って生きていけば良いのか、生きていきたいのか。一人で帰る夜道で考えたり、スーパーに向かったり、ランニングしたり…

何かが決まったわけではないけれど、何かを考えていた時間が多かった。

社会人 会社、結婚

生まれ故郷から遠く離れた地での寮暮らしという新たな生活で、毎日何気なく過ごし、何かに夢中になることもなく、ただ一人の部屋で将来についてのぼんやりともしていない考えを巡らせていたな。なんとなく仕事の面白さを考えたり、ふとした時に出張の多い自分について考えてみたり、世の中にはどんな人が出張での飛行機利用が多いのだろうと考えたり、趣味をどこまで頑張ろうと意気込んでみたり、、、

そんなことを思っていても、勢いがないとできない結婚生活が始まると、何もかもが予定通りにはいかない。価値観の違い、適応力の違い、さまざまなことを背負い、受け入れ、我慢してきた。そんな中でも赤ちゃんが産まれると、全ての幸せがそこにあるような感覚となる。あぁ今日もこの子を笑わせることができたな、この子の成長を感じることができたな、この子と遊ぶことができたな、小さなことが幸せになる。同時に自分に対する時間や意識を持てなくなっている気もして、自分の人生を改めて考えることも増えた。

 

正解なんてなかった。

ひとつもなかった。

あるわけがないのだ。

探しても仕方ないのに探そうとするのが人間なのかな。それとも自分なのかな。

自分に素直に!生きていこう!

 

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