おはようございます。かっちゃんです。
普段は通勤電車に乗らないのですが、出張で久しぶりに乗った時に気づいた出来事をお話ししたいと思います。
朝の通勤といえばものすごい混雑を予想されますが、私が利用したのは宇都宮LRTというものでして、いわゆる都会の満員電車ほどは混んではいないです。だいたい始発の宇都宮駅から乗る人が多く、ほんの少数ちらほら色んなところで乗って来つつ、途中の大学や市役所で少し降り、ほとんどが終点付近まで利用しあの日本車3大企業の1つである本田へ向かいます。
こんな私も本田に向かう機会があり、宇都宮駅から乗車しました。最後尾から乗り込み、最後尾を背中側にし、中央付近で立つことになりました。つまり、LRTの進行方向を向きながら、近辺の列車内の状況を見ることができる状態です。列車は進行し、途中の停留所では、左右どちらかの扉が開閉する状況でその時の車内の人の動きを観察することができました。
ここで…男たちの努力を垣間見ました!
そう、通勤の電車内といえば、男が警戒するのは痴漢冤罪ただ一つ。晒し上げられたら終わりの例の件ですわ。私も小学生の頃、映画で「それでも僕はやってない」を見て、衝撃を受けました。中高は電車通学だったのですが、学生とはいえ、とても気にしていました。片手はバッグ、片手は吊り革…正直、リュックをお腹側に回して乗り込む人たちはスペース取りすぎて頭悪いと思ってましたが、今にして思えば痴漢冤罪を防ぐ一つの手段として行使していたのだと思います。
そんなことはさておき、男たちの努力です。
そう、扉が開くと、人が入ってきます(もちろん、先に降りる人は降ります)。すると、扉が開いて入ってくる側の密度が高まります。よくありますよね。見ていると、だいたい中央を境に、片側にいる人は近い方の扉側を向いており、反対側にいる人はその近い方の扉側を向いています。つまり、自分から遠い方の扉が開いても、見ない限りは状況がわからないのです。そんな中でも、ある程度の男性はチラッと見て、詰めることができれば詰めています。しかし人はどんどん乗り込んできます。降りた客のいた既存の空きスペースのみでは収容しきれず先程詰めてできたスペースでももう足りません。ついに乗り込んだ人がついに反対側を向いている人の背中に少し触れ、狭いから詰めてくれアピールをします。だいたいの男はこれに対応しますが、一部しない人もいます。
よく見ると、、、そう、その男の先には女性がいるのです。その男の立場になってみれば、その女性に詰めてくれアピール、つまり少し接触することは痴漢冤罪・セクハラ疑惑をあげられる行動を起こせと言われているようなもので、到底実行できるものではないのです。
それでも後ろからは圧力が、、、ついに荷物を少し触れさせる、または相手の荷物に少し触れる程度の接触を試み、女性の移動、その男の移動、そして乗車した客のスペース確保に至りました。こうした見えない鉄壁が電車内奥には潜んでいるため、混雑電車はより混雑を感じるのです。ただ、ここには男の努力があることを忘れないでいただきたい……
ここでもうひとつ。先ほどある程度の男はチラッと見て詰めると伝えましたが、私が観察したケースでは女性の場合はそうもいかないようです。もちろん電車内の男性比率が高かったので、サンプル数が少ないことが原因の可能性はあります。ただ、少なくとも私が観察していた範囲では、開いた扉を見て詰める女性はいませんでしたし、後方の乗車客がどんなに密度が高い状況で本人の周りに十分なスペースがある状況でも詰めようという意識のありそうな人はいなかったです。
これが左右の扉が開閉するごとに観察されていたので興味深く面白かったです。
たまにテレビ番組などで、性転換した方の話や、女装・男装することで扱いが変わったとか感じるという話がありますが、男には男の苦労があることを少しご理解いただけると嬉しいなと思いました。私自身も今回初めて俯瞰的な位置から観察できて気づいたことでした。
男女平等は不可能だと改めて思いました。平等と公平はまた違うかな。平等と機会均等もまた違うかな。考えさせられる一例でした。